映画を見るとなると邦画もたまに見ますが、ほとんどは洋画です。ドラマも同様です。「演技している」役者に対して英語の方が日本人の私には「それっぽく」見えるからです。決して日本の役者さんに対して「演技がヘタ」とディスっているわけではありません。素晴らしい日本の役者さんもいらっしゃいます。
では何故「それっぽく」見えるのか。それは各状況による英語でのコミュニケーションの取り方が、文化の違う外国人とのコミュニケーションの取り方や言葉が日本人の私にはほとんど分からないから。表情も基本的に外国人の方が豊かです。英語は言葉の単語が日本語より少ない分、表情やボディーランゲージも併用して相手とコミュニケーションを図ろうとします。だから基本的に話すとき動きの少ない日本人よりも映像映えするように思えます。
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私が邦画や日本のドラマにあまりハマらない理由
映画やドラマは劇中の役者同士のやり取りを見守るしかありません。スクリーンの向こう側に入って、こちらからコミュニケーションを取ることが出来ず、見る事のみに徹するしかないのです。当たり前です。
洋画や海外ドラマは、まず言葉が分からない。分かるフレーズや単語がセリフで発せられてもそれが状況的に正しいのか表情とマッチしているのか、なんて考えて見ていません。
でも、邦画の場合は言葉の意味やニュアンスが分かってしまい。それに伴う行動や状況が日本人だから理解しやすい分、自分だったらとか、知人だったら…と、経験上ちょっとでも自分との差があると違和感が出てきてしまい、「この状況でこんな言葉をチョイスして、こんな表情を自分も含め普段周りにいる日本人がするか?」と無意識に思ってしまうのです。演技だからそれで良いのかもしれませんが、リアルに作っている割に、リアル感に欠けるといいますか、今ひとつハマらない部分が出てきてしまうのです。いっそパロディやコメディ映画を見ている方が現実味が失せておもしろい。しかし全てとはいきませんが、中にはそれすら感じること無く自然に映画に入り込んでいける邦画も多数あります。
同じ理由で中国映画も韓国映画も違和感
かつては中国映画や韓国映画も違和感がありましたが、これだけ目にする機会が増えると今となっては、それほど違和感を抱かなくなりました。でも正直言うとまだほんの少しだけ違和感があります。アジア人の特に日本人に近い顔の作りで、喜怒哀楽の表情豊かに演技をされると、大袈裟な表現で演技をしたダイコン役者の様に見えるので、あまり好きではありませんでした。
西洋人の普段を知らないからダイコンが分からない
その点、西洋系の顔の人が演技をすると、その表情や表現は「この人種は普段からそういう人たち」と端から思ってしまい、同じ国の人から見ると例えダイコン役者でも、私にはそれが分からないので、ことさら映画やドラマの内容に集中出来るのです。現に余程の映画評論家や海外生活が長い日本人でなければ、海外の演者をダイコン役者扱いをしたり、演技やセリフが下手だと言う人を見かけませんし、私のように外国語を話せない人からは聞くことがありません。
リアルになったが為の弊害
最近の日本人の役者さんの役作りは、ほぼセリフの棒読みは無くなり、現代の日本人が行う日常会話と違和感がなくなりました。リアルで自然な感じがあり良いことでもあるのですが、こんどはリアルにしようとしているためか聞き取れないほどボソボソと喋るセリフを多く聞くようになり「何?何?なんて?」とボリュームを上げると、音楽でドーン!となり、ビックリすることが多くなりました。昔の役者さん(失礼…)は表情を踏まえつつ、キチンと聞こえる発声でセリフを言ったり、アフレコで別録りをしていたりで聞こえやすかったのです。アフレコが減ったり、ボソボソ声でもそれなりに聞こえる様になったのは、収録マイクの性能向上など様々な理由があることを聞いたことがあるのですが、それでも昔はセリフの言い方を含め演技が上手かった役者さんは多かったと思います。だから、余計に役者の上手い、下手が明確にあった気がします。
英語のセリフが言葉ではなく音として聞こえる
日本人は…いや…私は言語の違いがあると、もはや言葉ではなく「音」として耳に入ってきます。なのでそのセリフを発する役者が上手いのか、下手なのか分からない上、人種が違うので表情やジェスチャーに違和感を覚えないので、すんなり映画に入れ、余計なことを考えなくて済むので好きです。これ、私が海外生活が長くネイティブと近い英語が話せたら、「こいつは演技下手クソ」と思えるのでしょうか。
ええ、今は映画を見るのに「言葉の壁」バンザイです。
言葉の壁を乗り越えて
以前、外国人の女性が会社の面接に来たことがありました。日本語は十分通じるし、外国人にとって難解な「てにをは」もそこそこですが、少しカタコトになることも。内心は分かりませんが、それでも彼女は臆すること無く、堂々とニコやかに面接に挑む様を見ていてふと思いました。自分は海外に行って仕事を探し、カタコトの英語で面接に行くだろうかと。想像すると、まず言葉が「上手く通じないのにムリ」と考えそうです。この人たちの「言葉の壁」は私よりもずーっと低く感じているのだろうと思いました。「大丈夫。人種が違うからお互い分からなくて当然!でも、いつか分かり合えて仕事も上手く出来るって!」そんな風に感じます。でも当然、全ての外国人がそういうワケでは無いと思います。きっと日本に来て言葉で苦労し、ストレスを感じている方は沢山居ると思います。言語が違うともはや拒否反応と思えるほど、「言葉」を「音」に変えてしまう私はきっと言葉の壁を越えて海外の友達は出来ないのでしょうね。
英語を頑張った記憶
そんな私でも、一度だけシミュレーション系のネットゲームで海外のチームに入ったことがあります。共通のゲームをして、ネイティブの方達と話ができれば、語学学校に行くよりも英語の勉強になるだろうと、必死になって英語の辞書を使って翻訳し、コミュニケーションを図ろうとした覚えがあります。その時、チームの話題の多さには驚いたことを覚えています。私も決してコミュニケーションが苦手では無いですし、ゲーム内容の話がほとんどですから決まったフレーズや単語が多く、話になんとかついて行けて楽しくコミュニケーションしながら遊んでました。ですが、ことゲーム以外に話題が及ぶとみんなおしゃべり!チャットのスピードも早くなるので全然ついて行けてないのに、普通に日本人の私にも話を振ってくる。でも、あっという間にチャットの表示が流れて行くので返信する頃には別の話になっていて、振られた話を私だけが無視したようになり「英語が分からず、話が理解出来なかった」と言おうと、また辞書を引き始める、そんな繰り返しの苦労をした覚えがあります。
母国語側が理解しようと努力をしてくれる
当然、私は日本人でチームの他の人とは母国語が違うという事、普段は英語が喋れないので辞書を引きながらチャットしている事は、チームは理解しており、私のためにチーム内でもスラング(youをuと表現するなど)を使わない事を宣言し、丁寧な英語でチャットをしてくれました。それは凄く有り難く、みんな優しくて良いヤツばかりだと感じたことを覚えています。
チームにいる唯一の日本人である私に興味を持ってくれ、色々な事を聞かれるのですが、自分が返信する英語はちゃんと通じているのか不安もありました。それでも、みんな必死でフォローしてくれ理解しようとしてくれたことを覚えています。それだけコミュニケーションを取ろうとしてくれていたのです。
「英語が上手く喋れない?それがどうした。俺たちがちゃんと理解しようとするから大丈夫だ。おまえは、おまえの出来る限りの英語で話しかけてくれれば俺たちはそれでいい」。まるでそういう風に言われている感じでしたし、映画のワンシーンに出てきそうなセリフですが、実際それに近い事は言われたことがあります。その力強い言葉に乗せられてゲーム上とは言え、私も頑張って英語でコミュニケーションを取っていました。
英語は言葉の表現が日本語より少ない
コミュニケーションで一番困ったのが日本語で言いたいことが英語では表現出来ないこと。英語もそれなりに表現のしかたは色々ありますが、日本語にピッタリくるものがなかなか見つからず、もどかしい思いをした事を思い出します。例えば、チャット中に(現実の世界で)仕事から帰ってきてゲーム上に復帰した仲間にはなんと言いますか?日本語だったらねぎらう言葉として、かなり親しい友達なら「お疲れ〜」とか気軽にいいますよね?この「(お仕事)お疲れ様でした」という言葉の言い回し、英語にはありません。
「Good job.」
「よくやった」と言う場合に使いますが、なんか状況が違いますよね。これ少なくとも目上や立場が上の方には使わないし、使ってはいけません。偉そうで失礼にあたります。
代わりに言うなら…、
「You must be tired.」
でしょうか・・・
今度は馴れ馴れしすぎて初対面の人には使えませんが、しばらくチャットでコミュニケーションを取った相手ならなんとか使えそうです。直訳すると「(仕事から帰ってきて)あなたは、きっと疲れているに違いない」。でもこれ、相当疲れただろうと思うときに使います。普段の仕事で帰ってきてこれを日本語の「お疲れ様」的に頻繁に言うと「俺、そんなに弱くねーよ」って返ってきそうです。
なので、そんなニュアンスの言葉を入れずに、ただ「Welcome back!(=お帰り!)」と言うだけです。しばらくチャットでコミュニケーションを進めて理解したのですが、どうやらこれに日本語的な「お疲れ」の意味も込めていそうです。
自分の言いたいニュアンスがうまく伝わらず
そうして、しばらく必死に英語でコミュニケーションをとって遊んでいたゲームも、英語での会話が段々と苦痛に変わってきました。苦痛という表現が正しいのか分かりませんが、少なくとも日本語に対する英語の表現に限界を感じてストレスを感じるようになりました。自分としてはもっとコミュニケーションを取りたいので日本語だったらこういう言い回しで、褒める、咎める、冗談を言おうと思っても上手くニュアンスが伝わらず、英語が苦手な分、表現出来ないのでストレスに変わっていったのだと思います。しばらくしてそのゲームはそのままフェードアウトしました。
海外ドラマは英語の学習になる?
私にとって言葉の壁はまだまだ崩壊しそうには無いですが、映画やドラマの英語は知らず知らずのうちに勉強になります。特に海外ドラマはシーズンを通して見ると長く、同じ役者の人が役柄として癖のように言葉を繰り返してくれるので、慣れてくると「音」から「言葉」に変化していく事があります。先日話題に挙げた海外ドラマ「SUITS/スーツ」はよく使われるフレーズがあります。ちょくちょくセリフで使うので「あぁ、また言ってる」となって、段々と意味を頭で「翻訳」をかけなくても、セリフの一言で字幕を見ずともストンと「言葉」として入ってくるようになりました。
日本人でも「OK」や「Thank you!」くらい使いますよね?今まで日常会話で言ったこと無い人の方が珍しいくらいです。他にも今回このブログでコミュニケーションやボディーランゲージ、フェードアウト、ゲーム等々、色々日常的にルー大柴さんほどでは無いにしろ、英単語を使って話しています。でもでその時に英語でいうOKは「”よろしい”とか、”承知”って意味だ」とかThank youは「訳すと”あなたに感謝”だから、日本語で言えば”ありがとう”って意味だ」とか、いちいち考えませんよね。そんな感覚です。
そのように「SUITS/スーツ」で、もはや「音」でなく私にとって「言葉」として入ってくるようになった英語表現。それが・・・
You’re fired!(=おまえはクビ!)
…使いどころがない。
追:「いったい何が言いたいんだ!」って感じも多かったですね
もみじさん
こんばんは。
そういえば、映画のセリフをわざわざドラマ内で流用するのも面白かったのに最初の方だけでしたね。
ドラマ中盤くらいからすっかり映画のセリフ流用がなくなったのも気になります。
気になるといえば、ハーヴィとドナの間だけの秘密のようなあの「缶切り」の謎…。
メーガン・マークルがイギリスのヘンリー王子と実際に結婚し、それがきっかけなのか
結局、何の説明もないままシーズン8を終えて、ドラマ自体が終わってしまいましたね。
う〜ん…色々と気になるドラマでした。
ウチキネマーさんこんばんは!
「SUITS」で良く使われるフレーズ・・・「You’re fired!」 確かに!
でも僕はハーヴィやルイスが多用していた”What are you talking about?”ですね。
あえて文字にすると「トーキンバウ!」「トーキンバウ!」ってやたら耳につきました。
「は?何言ってんだお前っ!」って感じに使われる事が多かったと思います(笑